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2006年12月20日 (水)

迷路・錯覚・暴走

誰にいうものかはさておき、少し考えていることを書きます。

最近よく社会一般でも、そしてごく身近の身の回りでも
”正義”
ということが言葉だけでなく、思いや行動なども含めて飛び交っています。

ドラマや映画のように勧善懲悪の世界であればその図式は簡単で、正義がまさに正義としてその存在を見せるのです。

ですが、複雑に入り組んだ人間の集まりの中では、自分にとって正義であったとしても、別の人からすれば全く違うものにもとらえられるわけで、簡単に”正義”を持ち込んだりすることが出来ません。それは「正義の名の下に」と戦争が行われ、結果罪のない人までも虐殺してしまうということが頻繁に行われる中で明らかになっています。

それなのにいま特に短絡的にその”正義”が頭をもたげてくる。しかも「嫌い」とか「むかつく」という身勝手な感情の部分も混在した中で、その自分の正当性を主張するために相手の悪い点を見つけては、それを正さねばという”正義”が表面をコーティングする。常識で考えてそれはだめだろうという犯罪などをしても悪いと考えないのはそうした「正当性」が自分の中で作り上げられていて、そこに寄りかかっているからではないだろうか?

「それは正義ではなくて独りよがりではないか?」なんて話も最近よく出てくる。もちろん簡単に否定や拒絶してはいけないのだろうけど、あまりの乱発ぶりに少し疲れています。

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